吹雪の別府鉄道お別れ運転01
この時たまたま関西に用事があったので、日にちを調節して別府鉄道の最終日に行くことにしたんですが・・。
それが当日とんでもない大雪に見舞われまして、スニーカーにジーパンといういでたちで出かけて、とんでもない目に遭いました。駅からちょっと歩いただけで、スニーカーはグショグショで足先が痛い冷たい、しかも撮るべき列車は吹雪の中でよく見えず、ここはどこだぁー!と叫びたくなったの覚えています。
行きは野口から別府鉄道に入ったんですが、そこから別府港へ向かうキハの車内は、別れを惜しむファンらで満員の状態でした。それから何駅か進むうち、駅に停まるたびに何やら車外で怒鳴りあうような声が・・。まだ寝ぼけまなこ状態だった僕はさほど気にも留めていなかったんですが、どうやら駅に着くたびファンが外で写真を撮り出して、中々発車できないので車掌がイラついていたらしいのです。そしてとうとうファンと車掌が喧嘩になってしまいまして。お互い関西弁でまくし立ててるからでしょうか、関東者の僕には余計に激しい言い合いに聞こえてしまいました。
僕の隣の初老の鉄ファンらしい2人連れの方々が、小声でやり取りしてました。
「何もこんな日にピリピリしないで、大目に見てやれば良いのに」
「いや、車掌も含めて皆明日からそれぞれ職の心配があるんだろうし」
それから終点まで車内は一気に殺伐とした緊張感に包まれ、車外の雪景色ともども寒々とした心持ちでキハに揺られていったのです。
別府港駅構内、運行に使用する以外の車輌、DLなどが展示してありました。ディテール写真を撮るべく足回りなど這いずり回りましたが、雪のハイコントラストで細部の潰れた写真の山となりました・・・・。
結局、雪中行軍で別府港から一駅歩いたところで精魂尽き果て、上を走る山陽電鉄で大阪に戻りました。
尚ここからもリンクして頂いてる駄菓子さんのサイト「二邑亭駄菓子のよろず話」には、この鉄道が本来持っている魅力的な姿が見れますので、どうか堪能してみてください。
上田交通02
休日なんて関係ありまっしぇ~んなGWでしたが、その代わり今週は暇なのでこんな時間にアップしたり出きる訳です。
わけあって一年半前より仕事場に近いとこに、仮の寝床を確保してるわけですが、当初予想した通りと申しましょうか、自宅へ帰るのが億劫になり仮が仮で無くなる始末。こちらには古いネガとスキャナーを持ち込んで、気ままにスキャンしてはここにアップして、てな感じなんですけどね。
故に自宅にある模型関係モロモロは、とんとご無沙汰もいいとこで、何かしなくてはと思いながら・・・う~~んなかなか生活のサイクルの中に、模型の時間を取り込めないまま日にちだけ過ぎていってしまいます。
思うにパソコンであれこれやる能動さと、直接手足を動かす能動さは連動してないというか、別の部分を使ってるんですかねえ。
今回の上田交通は上田駅構内で見かけた車輌のスナップを。実はこの鉄道を好きなわりに、旧型車の種々雑多な形式をいまいち把握しきれていないというお粗末さですが(~~
時間の違いによる日の加減なのか、上と同じ場所なんですが色調がかなり違ってしまいました。これは元飯山のキハを改造したサハ41
新潟交通その2終
前回新潟交通をあんまり撮ってなかったと書きましたが、よくよく考えてみれば蒸気機関車が無くなってから一気に写欲減退してしまい、ローカル私鉄自体もほとんど撮ってなかったんですよね。って前にも書いたっけ・・・。
ローカル私鉄系のサイトを巡ってみると、皆さんほんとに丹念に各私鉄を周っていて、そこに僕が模型化したくなるような情景がふんだんにあったんだなあと実感させられてます。
以上の4点は、味方中学校前駅の情景です。下校時の小学生が田圃で遊んでおり、やがて電車が近づくと走ってホームへ戻っていくーという一連のカットです。レイアウト上に人形を置く場合、HOクラスの大きさだと人形の表情までは現せませんから、体全体で見た時の動きが控えめな大人より、一つ一つの動作が大きい子供の方が映えて見えますよね。
ここはウチの田舎への下車駅である木場です。このもう使われなくなって久しい側線と、本線の線路の表情の違いを表現するには、やはりハンドスパイクしかありませんかねえ。
最後の3点は車庫のある西大野です。子供の頃燕付近を親戚の車に乗っけてもらってる時、モワ51が田圃の向こうを走って行くのを、チラッと見た記憶はあるんですが,写真を撮りだしてからは、本線上を走ってるとこは見た事ないんですよねー。
新潟交通その1
父方の田舎が新潟にあったので、お正月にもよく帰省していましたが(お年玉収金旅行でもあったわけですが)本家の木場を始め、親戚もみな新潟交通沿線にあったので、小さい頃から身近な存在でした。
ただ身近なほど有り難みに欠ける=いつでも撮れるからと後回し、というセオリー通りで、実はあんまり写真が残ってません。
特に新潟市内の親戚の家は、新潟交通の併用軌道が目の前に走ってたのに、一枚も撮ってないのが残念です。
その親戚のウチは道路より低い位置に出入り口があって、玄関に続く居間から外を見ると、電車の足回りがよく見えたものですが、やはり路面電車と違う一般の鉄道車輌を地面スレスレから見上げると、かなり迫力がありました。
親戚の所に泊った時、寝ているとゴロゴロゴロと音をたてて通過していく電車の音が、振動と共に思い出されます。そういえばそこの親戚のオジサンの車に乗っけてもらった時、その併用軌道上でおじさんがUターンを試みてモタついてたら、危うく電車と衝突しそうになったりして、かなりヒヤヒヤした思い出があったっけなあ。
後追い写真なんですが、テールライトは点いてないように見えますね
もうひとつ、これは自分でも後から考えて錯覚だったのかも・・・・と思う出来事なんですが。
小学生の頃の夏休みに、親戚の一人から県庁前を夜の7時24分発の電車に乗ると、途中で幽霊が出る、なんぞという話を聞かされたのですが、あんまり本気にせずにいたら、新津に蒸気機関車を見にいった帰りに、偶然県庁前を7時24分発の電車に乗る事になったんですよね。で、結果幽霊は見なかったんですが、その親戚から言われてたあたりで、車内の照明が消えたんですよね~・・・消えてた時間は数十秒程度だったと思うんですが・・・・
それを親戚に言ったら、したり顔で「それはすぐ横を流れる中之口川に、並行して走る道から車が落ちて母親と赤ん坊が死んでから、そこを電車が通る度に・・・」なんて言ってた記憶がありますが、う~~ん。やっぱり小学生だから怖い話でもデッチあげてイタズラしてやろうか、てな感じの気もするし。銀座線でも昔駅に入る直前に照明が一瞬消えてましたよね。消えたのは確かだと思うんですが、なんかの工事の為に無電区間とかあったのかなあ・・・。
新潟交通というと、ほとんど中之口川の堤防と集落の間の狭いとこを走ってるという印象が強いですね
以上の写真4点は全て吉江ー味方中学校前です
やっぱり日記
一週間ぶりの更新ですが、いやはや上信越から関東にかけては地震で明け暮れた一週間でしたね。僕の父方の親戚が元の新潟交通沿線に点在してるんですが、おかげさまで人の被害も家屋の被害も無かったようですが。とにかく揺れだけは凄かったそうです。
なんでも一部地域では震度7を記録したとか・・・・震源地のやや新潟市寄りは台風で水害にさらされたばかりだし、親戚の年寄りもいささか精神的に参ってる様子でした。故に今現在避難所で過ごさなければならないお年寄りの方々の心労たるや、いかばかりかと思うとやり切れませんね。
東京に住んでいるとそれほど土地に対する執着は感じませんが、やはり農村部は自分達の土地に対する思いは重く深いものがありますよね。僕も親戚の年寄りに余震が収まるまでこっちに疎開でもしないかと誘ってみましたが、地震は怖いけどもやはりここからは離れたくないという返事でした。
丁度新潟交通の写真でもアップしようかなぁと準備してた矢先の地震だったんですが、とちあえず一枚ペタっと。
より以前の記事一覧
- ちょこっと長野電鉄その1 2004.10.16
- 好きよキャプテン♪ 2004.10.02