ちょっと前の東京建築散歩6の1
久し振りに建築散歩シリーズを!
例によって90年代初期のお正月に、自転車で巡ったものです。
今回は丸の内から
これは以前にもチラッと載せた事のある第一生命ビルです。戦後GHQに接収されてた事で有名ですね
こちらは明治生命館、壁面に並ぶコリント様式の柱は間近で見ると、かなり威圧感があります
最後は東京銀行協会の建物ですが・・・新しいガラス貼りのビルの前面に、いかにも取ってつけたような意匠をどう見るでしょうか。ここにはかつてこの意匠の元になった風雅な建物があったんですが、建て替えるにあたってその建物の意匠を継承したデザインを、って事なんでしょうけど、やはり安ッぽさを感じてしまいますね~。
ちなみに第一生命と明治生命の両館は、建物をリニューアルした時に前面をほぼそのままに保存し、少し引っ込んだところに高層のビルを建てる方式で成功してると思うんですが、この東京銀行協会の場合はあまりに木に竹を繋いだ感が強くて、?がついてしまう気がするんですけど、どうでしょう。
ここらへんの都心の一等地にある建物は立派過ぎて、なかなかレイアウトに組み込めそうなモノはありませんね。
ちょっと前の東京建築散歩5の2
あわわ~!MXTVのウルトラマン見逃しちゃったあ~!・・・なんていうローカルな話題は置いといて、今回は築地から隅田川を渡って佐賀町まで。
ということで、順路から行くと入船か新富町あたりでしょうか。そういえば呉服店というのも見なくなりましたねえ。
そしてこれが南高橋。最初なんこうばしとか読んじゃってたんですが、何のことはない高橋の南にあるから「みなみたかばし」だとか。しか~し!このトラス部分は旧両国橋の一部で道路橋としては都内最古だそうです。
永代橋を渡って江東区側から隅田川を北上して行きます。これも趣のある建物ですよねえ。劇団○芸と読めますが・・・民芸くらいしか思い浮かばん。
なぜルートを江東区側からにしたかというと、ここ「佐賀町エキシビット」が目的であったからでした。元は食糧ビルと言っていた建物ですね。演劇関係の公演や稽古場として、かなり頻繁に使われていると聞いていたので、まさか壊されるとは思いませんでしたよ、まったく・・・。劇団○芸と並びのこの一角は、かなり良い雰囲気を醸し出していたのに、跡地にはお決まりのマンションが建っているようですね。
佐賀町エキシビットの前にたむろしていたボス猫らしき奴です。2~3匹の子分を引き連れて歩いてましたが、カメラを向けても目をそらすことなく、逆にこっちを睨みつけてるあたり、野良の神髄を見た!って感じでしょうか。
ちょっと前の東京建築散歩5の1
今回からは前々回の行程(90年)の翌年、91年の初詣兼建物巡りです。この時も向島の隅田川七福神に行ってるはずなんですが、今のようなデジカメで枚数気にせず撮るのとは違って、やはり建物中心に絞ってたので、スナップ的な画像はほとんどありませんでした。
百花園から白髯神社までの道すがら、路地裏とか結構風情あったんですけどね、今どうなってるのかなあ。
え~っとこの頃はまず池上の本門寺に朝一で寄って、可愛い巫女さんから破魔矢を買うのが定番でした・・・。
ここは住所表示板を拡大すると築地6丁目2~と書いてあるようです。築地本願寺の裏手あたりって感じでしょうか。それにしてもこの建物の名前、当初飯野書院かと思ってググッたりしてみましたが、どうも書院じゃなくて督院って書いてあるようにも見えます。でも督院っていまいち意味不明。どうでもいい事ですが、建物の横に築地市場で使ってるターレットらしきものが置いたままに・・・(コメントで駄菓子さんよりご教示頂きました!正解は飯野醫(医)院という事です!)
そして上の2枚は聖路加病院、今年は別角度から。手前の建物は聖路加看護大だと思います。
ちょっと前の東京建築散歩4の2
前回の最後が向島だと確認できたので、恐らく七福神を周ってるはずなんですが写真は一枚も撮ってなかったようです。という事で今回はその帰路という事になる金杉通りです。ここは以前から古い町並みが残ってると、その手の本(どの手じゃ)で確認していたので、記憶に残っていました。
銅版建築は古くなると緑色になりますが、この中華料理屋はかなり緑が薄いですね。日なただからとか、なんか理由があるんでしょうかね。
これは土蔵造りの化粧品屋さんです。雑誌東京人によると明治21年築だとか
上2枚とも、鶯谷方面から三ノ輪方向に向かって見た街並みです。この頃には古い町並みも、やや歯抜け状態になってましたね。
これらの建物は、上記も含めて住所的には根岸になるようですね。
このアパートは確か金杉通りから下谷方向に道を入ったとこだと記憶してます。同じく東京人によると「ウグイス荘」という名称で昭和10年築とのこと。
ちなみに、参照した東京人は「東京からなくなったもの」という企画の号で・・・当然参照した上記の建物も無くなってるようです。
ちょっと前の東京建築散歩4の1
今回の行程も正月だと思うんですが、ネガのコマを追っても、どこをどう周ったのか判然としません。おそらく90年代前半に毎年行っていた、隅田川七福神への行き帰りだとは思うんですけどね。
なぜか大井町から始まってます。ここはゼームス坂という坂の途中だったと思います。銅板張りで左がソバ屋、右が酒屋でしょうか。戸袋の所にキリンレモン、キリンジュースの文字が・・・
上の場所がはっきり判ったのも、この画像があったからで、ここは大井工場の有名なレンガ造りの建物です。京浜東北線や東海道線の車窓からでもよく見えますね。
そして次のカットでいきなり佃あたりの町並みになります。記憶では清澄通りで相生橋の少し手前、地図で見ると佃3丁目あたりでしょうか。下のも同じ並びの建物ですね。
そして、ここなんですが明確には判りましぇ~ん(~~ なんとなく向島だったような気もするんですが・・・・それにしてもこの棟割看板建築(造語)、右端がまた中途半端な切られ方してますね~。どういう権利関係だったんでしょうかね。
ちょっと前の東京建築散歩3の番外
前回、写真のキャプションがかなりいい加減だったので、若干直しました。
多聞寺から少し歩くと、荒川沿いに東武伊勢崎線に出ます。そして今回紹介する堀切駅までも歩いて14~5分ってとこでしょうか。ご覧のようなどこかローカル色の漂う良い風情の駅で、模型化したくなってしまいます。
上下線の乗り降りは完全に別れており、一旦改札を出て人道橋を渡らないと、反対側のホームへは出れません。
緩くカーブした向こうに見えるのが荒川を渡ってきた京成線で、東武はその京成をアンダークロスで抜けて、牛田駅に滑り込みます。ちなみにすぐまん前にある京成の駅名は京成関屋です。
さてこの駅、日本映画ファンにも知る人ぞ知る駅で、小津安二郎の名作「東京物語」の中にも出てきます。
もう一つ3年B組金八先生の舞台になったのも、この近辺で。その中心で先頃統廃合で無くなってしまった中学校も、この駅のすぐ隣です。
ちょっと前の東京建築散歩3の5
今回の行程の最後は隅田川七福神巡りです。お寺ばっかで地味っすね~。結構若い頃からなぜか七福神巡りに目覚めまして、一時期東京中の七福神を周った時もあったりしましたが、最終的にはやはり隅田川に尽きますね(~~
枕橋の上から源森橋方向を臨む、この先の業平橋は新東京タワーの候補地になってましたっけ
三囲神社、ここは恵比寿様と大黒天を奉っています。浅草方面から来るとここから七福神巡りのスタートになります。
長命寺、弘福寺のすぐ裏手にあり弁財天を奉っています。桜もちで有名なとこで、近くの言問団子といつもセットでお土産を買ってました。
向島百花園、ここは福禄寿を奉ってますが、いつきても長蛇の列でしたね~。園内には茶店があります。入り口のとこにいつもキビ団子屋さんが出てましたね
多聞寺、此処へ来るまでもう一つ白髯神社があるんですが、なぜか撮ってないんですよねー。毘沙門天を奉っています。場所的には墨田区の北端、荒川と隅田川に挟まれたとこにあります。
ちょっと前の東京建築散歩3の1
今回の行程はコンパクトカメラで撮ったので、日付けがちゃんと判ります(笑 (この時主力で使ってたのはしぶとくキャノンFtbでしたからね~) 90年1月3日バブル崩壊直前の頃、隅田川七福神巡りを自転車で敢行した時のものです。まずは聖路加病院を目指しました。
ここは今現在、保存運動が立ち上がっている芝浦検番跡周辺です。例によってモロに逆光で見難いですが。後にそびえてるビルは確かヤナセだったと思いますす。倉庫街の中に忽然と現れる花街の名残りって感じですよね。
名残りといえば、この朝陽が眩しい入り江も築地川の名残りです。右側に見える森は浜離宮。後に撤去されてしまいましたが、ここには銀座ヨットクラブ?とかいう小規模のマリーナがあり、バブルの頃はクルーザーでここまで乗り付けてそのまま銀座へ繰り出す、なんて金持ちもいたとか・・・・
上の4枚は築地周辺としか確認できません、この頃までは結構銅版葺きの木造建築が見る事が出来ました。
ちょっと前の東京建築散歩2の2
今回は愛宕山下の木造住宅群であります。
この写真を撮る数年前に、新橋で飲み過ぎて終電が無くなってしまった時、バブル真っ盛りの頃とてタクシーなど到底捕まらず、ええいままよと歩いて帰る決心をしたと思いなせえ。フラフラとした足取りでとにかく桜田通りへ出て五反田まで・・なんて朦朧としたオツムで深夜の街を歩いているうちに、裏通りからこんもりとした森の下をくぐるトンネルを見つけたとさ。
これがまた、東京のド真ん中とは思えないほど鬱蒼とした小高い丘を通って、トンネルの向こう側へ出ると古ぼけた看板建築の店が一件ポツンと見える、そして横に分かれる小道を覗くと・・・・
そこにまるで昭和30年代の町並みかと見紛う木造住宅が、映画のセットのように密集しているではありませんか!
それから数年後に再度カメラをぶら下げて撮ったものが、今回の更新です。ま、個人の住宅なのであまり突っ込んだ撮り方はできませんが、ここもすでに取り壊されたと聞きましたので載せてもいいかなと。
でもここって有名だったんでしょうかね~。どういう経緯でこのような木造住宅が残っていたのか、詳しい事はネット等で調べてもよく判らないんですが、土地の所有者はお寺の方のようですね。バブル全盛の頃に、しかも新橋、虎ノ門から至近距離の場所に・・・やはり不思議なのは確かですよね。
突き当たりの小高い丘が愛宕神社やNHKが最初に放送を始めた(現NHK放送博物館)愛宕山です。山の向こうは新橋になります。
ちょっと前の東京建築散歩2の1
前回の更新で通し番号間違えてたし・・・・どうも調子出ないようで。
今回からの画像もそうなんですが、十数年前に自転車を使って都内の古い建物を撮っていたそのほとんどは、正月の三が日に初詣のついでに周っていたモノが多いですね。
とにかく正月の東京は自動車も少なく(繁華街は除く)自転車で走るには最適なんですよね~。今では考えられませんが、往復40~50キロくらいは平気で走れたんですけど、ここ数年すっかり体力落ちて、自転車ともご無沙汰です・・・。
と言う事で今回よりは、大まかでも場所の見当がつくように、フィルムのコマ順に載せてみようかと思います。
たいていキーポイントになる建物は行く前にチェックして、その途中で偶然見かけた建物をその都度撮りながら・・って感じでした。
これは白金台にある明治学院大学の礼拝堂と記念館(のはずです) カブリが酷かったんで修整したんですが右上にチラッと痕跡が・・・
これも、このあたりのランドマークとして保存されている二本榎消防署だった建物です。冬の早朝の斜光で、かなりコントラストが強い画像になりがち。
これは普通の民家(昔は商家だった?)ですが、場所は桜田通りから目黒通りが分岐していく角、三角地帯みたいなとこにポツンと建っていました。しかしコントラストが付き過ぎて正面が真っ黒ですね
ちょっと前の東京建築散歩1の4
なんだかんだで一ヶ月近く間が空いてしまいました。
やっぱり過去のネタを食い潰してるだけなんで、段々と先細りになっていくのはしょうがないかなぁ。
よく90年代は空白の10年などと言いますが、自分にとって鉄道趣味における90年代も、まさしく空白の10年って感じでして、現状も鉄道の写真を撮る意欲はすっかり無くなってしまいました・・・。
せめて身近なとこくらいは、と思ってはいるんですが。
画像は神保町のラストですが。ま、正確には神保町周辺という感じで。
この建物は確か御茶ノ水駅からマロニエ通りを行った左側にあったと記憶してまして、95年くらいの地図で調べ芸大付属音楽高あたりだと見当をつけましたが、ネットで確認してみると今現在は上野の方に移転してるようですね。って事は壊されちゃったのか・・・・
この建物はもっと不確かなんですが(笑 白山通りの西側、住所でいうと三崎町2丁目~西神田2丁目~神田神保町2丁目あたりにだと思うんですけど・・・うわぁいい加減
ちょっと前の東京建築散歩1の3
さて、駄菓子さんのプッシュもあった事だし(ってほんとか!?)鉄道ネタから離れ続けますが、神保町のその3を。
ところで前々回の神保町で、撮影場所を白山通りとさくら通りの交差点だと書きましたが、調べてみると白山通りよりももう一本九段下寄りの道とさくら通りの交差点のようでした、訂正しまーす(いやあイイ加減)
今回は確かさくら通り沿いにあった建物だと思います。
そして実はこの時の目玉にしていた建物が、この東洋キネマでした。掲げられた看板には何やら殺伐なものを感じますが、このアンシンメトリーな建物は、今もし残ってたらもっと有効利用できたと思うんですけどねえ。ちなみに目玉にしてたわりに、こんな中途半端な撮り方しかできなかったのは、前々回の時にも書いた職質を受けた機動隊員が、放免した後もじっとこちらの様子を覗っているため、そそくさと2枚だけ撮って退散してしまったからであります。
ちょっと前の東京建築散歩1の2
過去の画像をまとめて置いとく場所は、やっぱり有料にしないと無いみたいですね。有料に切り替えるかなあ
今回も神保町ですが、以前ここから水道橋の方へ向かった所の猿楽町にあった出版社に勤めていまして、昼時はよく神保町の方へ出向いていました。
あの頃は鉄道関係よりも映画関係の本を物色して周ってましたが、今現在はかなりサブカルチャー系の古本屋さんが増えているようですね(ここ4~5年ご無沙汰なんで又聞きですが)
この画像は靖国通り沿いの南側に建っている古書店の建物群です。日曜日なんで店も閉まってて閑散としてますね。こうしてみると南側に高い建物が建ち始めており、そのため本来店先の本が日焼けするとの理由で南側に集中してた古書店が、その後ボチボチと北側にも進出したのも判りますね。
ちょっと前の東京建築散歩1の1
冷えますね~!暖冬だとばかり思ってたら、ここへ来て一気に寒さが盛り返してまいりましたよ。でも今日は雪の予想に反して今現在氷雨が降っております。
とうとうウチでもDVDレコーダーを導入しまして、せっせと昔のビデオをDVD化しておりますが、この寒さの中を外にも出ず、ダビングしながらついでに映画三昧の日々です。しっかしHDD付きは便利ですなあ、世の中の流れにまったく付いていってなかった自分を実感・・・デジカメ、DVDレコーダーときてデジタル三種の神器のあとひとつ、薄型の大型テレビは・・・まだまだ無理そうだなあ、予算的に。
さて、ここからもリンクして頂いてる駄菓子さんのサイトには、東京の町並みの今昔を比較するコンテンツがあり、東京の様に変貌速度が速い街だからこその感慨を呼び覚まさせてくれます。
僕もバブル末期の頃、初めて買ったマウンテンバイクを乗り回しては、地上げで潰されそうな建物を撮って回っていた時期がありました。今回スキャンしてみようとネガを探してみましたが、まだ一部しか発掘できてない状況です(例によって管理がなっちゃいないわけで)
それでもボチボチと気長にアップしてみようかと思ってます。それでできれば駄菓子さんの様に今現在の写真と比較して・・・などと思ってみたものの・・・ま、これも例のごとく撮った場所や日時の記録が曖昧でして、しかも街並みというよりは建築物そのものの画像なんで、場所特定の為の周りに手がかりになりそうなモノも写りこんでないし、かなりイイ加減ではありますが、レイアウトの参考にでも・・・・・・ならないか。
最初は、場所が明確な数少ないモノの中から「神保町」で、白山通りがさくら通りと交わる所です。
時は確か1989年、昭和天皇の病状が毎日テレビのテロップに映し出されていた頃で、この写真を撮ったあとすぐに、どこからともなく現れた機動隊員に職務質問を受け、住所氏名を言わされましたね~。
その時持ち歩いていた東京建築探偵の本を差し出し、必死に古い建物を撮っている趣旨を説明して放免されましたが。まあ、よくよく考えれば神保町も皇居から至近の場所ですもんね。
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